東北中学卓球部の仲間は決して強くは無かったが、市内大会では強豪に混じって第三位と成った。男子は上級生が途中全員退部となり、2年からは最上級生に成ってしまった。独自の工夫で自分たちをしごき、更に社会人となっていたOBの黒埼先輩に土曜日特別に習っていた。たまにラーメンなんかご馳走になり、懐かしい思い出ばかりだ。大またを開いて体勢を低くした先輩のシャープな体から繰り出す球は、威力があり、余程速い脇のしまったスイングをしないと弾き飛ばされた。
2010年7月3日土曜日
2010 6月・出会いから半世紀・平井真夫
東北中学卓球部の仲間は決して強くは無かったが、市内大会では強豪に混じって第三位と成った。男子は上級生が途中全員退部となり、2年からは最上級生に成ってしまった。独自の工夫で自分たちをしごき、更に社会人となっていたOBの黒埼先輩に土曜日特別に習っていた。たまにラーメンなんかご馳走になり、懐かしい思い出ばかりだ。大またを開いて体勢を低くした先輩のシャープな体から繰り出す球は、威力があり、余程速い脇のしまったスイングをしないと弾き飛ばされた。
半世紀前の思い出のファイルも、重ねて仕舞ってあったページをインデックスを頼りに開いてみると、多少かすれていても其れなりに見えてくる。元気だった友達、綺麗だった人、強かった奴・・・隣りの人は16歳。あいつもイメージの世界ではこの席にいるようだ。昨日はトンボがよく私たちの廻りを飛んでいた。やっぱりトンボには神様が宿ってるんだ。
東京での卓球部同窓会の最後はスカイツリィーを目指して浅草まで来た。雷門の近くに家老秀那夫君が社長をしていた会社があり、元気に働いていた・・・スカイツリィー、雷門、富士山、明治神宮・・・クラブ活動の友達は今になっては有難く、懐かしく、嬉しく・・あのくそ暑い故郷長岡と仲間、私にとっては掛替えの無い宝物だ。